中国・威海市の釣り具産業、日本の技術から自立し世界最大の産地に成長

中国威海市渔具产业:从日本技术独立出来成为世界最大产地

中国釣魚協会の大まかな統計によると、中国には釣り愛好者がおよそ1億4000万人おり、うち25歳から44歳が46%、45歳以上が32%を占めるという。
彼らの趣味を支えるのは、世界最大の釣り具の生産拠点で「中国釣り具の都」と呼ばれる山東省威海市だ。市内には釣り具メーカーと商社が4000社以上もあり、世界の釣り具の約半数がここで生産されている。中国IT大手アリババのレポートによると、威海市の釣り具の輸出額は2018年に14億5000万ドル(約2100億円)に達しており、世界の釣り具の約80%を中国メーカーが生産しているとも言われている。中国国内市場では釣り具の半数以上が威海で生産されているという。

据中国钓鱼岛协会粗略统计,中国钓鱼爱好者约有1.4亿人,其中25岁至44岁的占46%,45岁以上的占32%。
支撑他们兴趣的是世界最大的渔具生产基地、被称为“中国渔具之都”的山东省威海市。有4000多家渔具生产及贸易企业,承包了世界上近半数的钓具。据中国IT巨头阿里巴巴的报告显示,2018年威海市的钓具出口额达到14亿5000万美元(约2100亿日元)。世界上约80%的钓具由中国厂商生产。

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生産地移転ブームにのって勢いづいた威海
1980年代に日本や韓国で労働コストが上がると、世界の釣り具産業は生産拠点の移転先を探し始めた。
このころ、ある日本の商社がコスト削減を目的に中国でガラス繊維素材の釣り竿を生産できるメーカーを探していた。しかし当時はこれに対応できるメーカーはなく、釣り具の生産自体も現代化や工業化が遅れていた。
意気消沈した彼らは最終的に威海市を訪れた。威海市は中国でも比較的軽工業が発達した地域であり、このころすでにプラスチック系床材やマグカップ、人工皮革などのプラスチック製品を量産し、全国に供給していた。こうした軽工業の基盤を活かし「威海市塑料一廠」が1年をかけて釣り竿の模造品を作ることに成功。造りは粗かったが、日本の商社の求める水準には達していた。その後、日本の技術専門家の指導を経て、威海市の釣り竿生産はより精度を上げ、工程が最適化され、オリジナルブランドが誕生するまでに至った。

乘着产地转移的东风,威海乘势而起
20世纪80年代,随着日本和韩国劳动力成本的上涨,世界钓具产业开始寻找生产基地。
当时,一家日本商社为了降低成本,在中国寻找能够生产玻璃纤维材料鱼竿的厂家。但是当时没有能够适应这种情况的厂家,渔具生产本身的现代化和工业化也很落后。
意志消沉的他们最终来到了威海市。威海市是中国轻工业比较发达的地区,当时已经批量生产塑料地板、马克杯、人造革等塑料制品,供应全国各地。利用这样的轻工业基础,“威海市塑料一厂”花了1年时间成功制造出了钓鱼竿的仿制品。虽然结构粗糙,但达到了日本商社的要求。后来,在日本技术专家的指导下,威海市的鱼竿生产精度更高、工艺更优化,直至诞生原创品牌。

威海市塑料一廠は1985年に釣り竿生産事業をスピンアウトさせ、「威海塑料漁具廠」(現在の「山東環球漁具(Shandong Weihai Fishing Tackle Industrial)」)として独立させた。ここから威海製の釣り竿は世界への道を進むことになる。威海市では政策面の支援もあって「光威漁具(GW)」などに代表される数多くの釣り具メーカーが誕生した。光威漁具は1997年に年間1000万セットの釣り竿を生産し、山東環球漁具を抜いて世界最大の釣り具メーカーに成長した。
しかし、メーカーが乱立したことで競争が激化し、価格競争に突入。1990年代以降には輸出が拡大するにつれて韓国メーカーまでがこの価格競争に巻き込まれた。ただ労働コストの面では韓国メーカーに勝ち目はなく、最終的には中国メーカーに淘汰されてしまう。威海製の釣り具は世界の舞台で重要な役を担うようになった。
釣り具産業は40年を経て、威海の産業の代名詞になった。竿・リール・ガイドリング・餌まですべてを揃え、開発から生産・販売・展示会・輸出・競技会までを網羅する産業チェーンを完備している。
多くの釣り愛好者にとって、威海の釣り具は憧れだ。

威海市塑料一厂于1985年将鱼竿生产事业独立,更名为“威海塑料渔具厂”(现“山东环球渔具”)。从此开启了威海鱼竿制霸全球之路。威海市在政策方面的支持下,诞生了以“光威渔具(GW)”等为代表的众多渔具生产企业。1997年,光威渔具年产量达到1000万套,超过山东环球渔具,成为世界最大的渔具企业。
但是,由于制造商林立,竞争变得激烈,进入了价格竞争。20世纪90年代以后,随着出口的扩大,韩国企业也卷入了这场价格竞争。只是在劳动力成本方面,韩国企业毫无胜算,最终被中国企业淘汰。威海制造的钓具在世界舞台上扮演了重要角色。
经过40年的发展,渔具产业已成为威海产业的代名词。鱼竿、卷盘、引导环、饵料一应俱全,形成了从开发到生产、销售、展会、出口、比赛的完整产业链。
对于很多钓鱼爱好者来说,威海的钓具是梦寐以求的。


「国の宝」を生んだ釣り竿メーカー
威海製釣り具の「神髄」は、数ではなく技術に宿る。釣り竿の素材はガラス繊維と炭素繊維に大きく二分されるが、ガラス繊維は重いため、炭素繊維のほうが人気だ。しかし、中国釣り具産業の創成期には炭素繊維技術はほとんど進歩がなく、ほぼ輸入に依存する状況が長期間続いた。
さらに、海外では炭素繊維の対中輸出に厳しい規制が敷かれていた(軍需物資や武器への転用を防ぐため)。加えて炭素繊維のサプライヤーは極めて強気で、気まぐれに値上げや供給停止をちらつかせてくるため、川下メーカーは苦しみに喘いでいた。初期の釣り竿メーカーも日本のメーカーから炭素繊維製釣り竿の生産を請け負ってはいたが、使用する炭素繊維の輸入量や用途などを漏れなく詳細に記載しなければならず、ごくわずかな流出も許されなかった。

孕育“国之瑰宝”的鱼竿制造商
威海制钓具的“精髓”不在于数量,而在于技术。鱼竿的材料分为玻璃纤维和碳素纤维两大类,由于玻璃纤维较重,碳素纤维更受欢迎。但是,在中国渔具产业的初创时期,碳纤维技术几乎没有任何进步,长期依赖进口。
而且,海外对中国出口碳素纤维有着严格的限制(为了防止碳素纤维被转化为军需物资和武器)。再加之上游碳纤维生产厂家在供应上也是傲慢至极,反复无常地提出涨价或停止供应,下游厂商苦不堪言。早期的鱼竿厂家虽然能够给日本代工制造碳纤维鱼竿,但关于碳纤维的进口数量、用途等均需详细记载,唯恐有半点流失。


中国の釣り具産業を数十年にわたって悩ませてきたこの問題を、威海のたった1社のメーカーが解決するとは誰も予想していなかっただろう。そのメーカーこそが、上述した光威漁具だ。
1998年、光威集団の創業者・陳光威氏は釣り竿産業の川上にまで事業を拡張させ、中国初のカーボンプリプレグの生産ラインを引き入れたのだ。この生産ラインは順調に稼働したものの、主原料の炭素繊維は引き続き輸入に頼らざるを得ない状況だった。

谁也没有想到,这个困扰中国钓具产业数十年的问题,会被威海一家企业解决。这个厂家就是上述提到的光威渔具。
1998年,光威集团的创始人陈光威将业务往钓鱼竿产业链上游延伸,并引进了国内首条宽幅碳纤维预浸料生产线。虽然这条生产线顺利投产,但主要原料碳素纤维只能继续依赖进口。

折しも2001年、中国国家科学技術部が炭素繊維開発プロジェクトを始動させた。陳光威氏も長年積み上げてきた自らの知識や技術を惜しみなく炭素繊維開発に注ぎ、2年目にしてこれを結実させた。自社での炭素繊維前駆体生産に成功し、審査に参加した6社で唯一、製品指標が日本の製品「T300」レベルに達したサンプルとなった。
現在、光威の炭素繊維は量産化され、自社だけではなく国内のメーカーにも提供されており、威海の、ひいては中国の釣り具産業の発展に大きく寄与した。

恰逢2001年,中国国家科学技术部启动了碳纤维开发项目。陈光威也毫不吝惜地将自己多年积累的知识和技术投入到碳纤维开发中,并在第二年取得了成果。公司自主生产碳纤维原丝成功,成为参加评审的6家企业中唯一一个产品指标达到日本产品“T300”水平的样品。
目前,光威的碳纤维已经实现量产,不仅提供给自己公司,还提供给国内的厂家,为威海乃至中国的渔具产业的发展做出了巨大贡献。

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